2011.10.04 Tuesday 14:41

地面の馬


半年程前のことを振り返ってみます。
私は祖父母のいる佐賀県に三週間いました。
原発事故による一時避難です。
2歳の息子を連れて何がなんだかわからないまま飛行機に乗りました。
祖父母の家は、佐賀城跡の近くにあり、私は小学生の時をここで過ごしました。よく遊んだ公園や、夏休みのラジオ体操に行った公園に息子と散歩に行き、通っていた小学校にも、運動場脇に遊具や兎小屋があるので連れて行きました。
滑り台を二つ重ねたような大きな遊具があり、そのてっぺんに登ると校舎の中が見えまた。桜がちょうど咲く頃の穏やかな風と子供達の声、
野球のボールがバットに当たる音、
学校のすぐ横にある小川の流れる様子、
全てが夢のようでとても息苦しく感じました。
三月に起こったことをまるで知らない幸せな世界にいる自分をどうしていいのかわかりませんでした。
木の枝を拾って、馬とそれに跨がった息子の絵を大きく大きく地面に描いてあげました。
遊具のてっぺんから息子に見せてあげて、その日は帰りました。
次の日、散歩をしてスーパーと本屋に行き、最後に小学校に寄りました。
ふたりで石を拾ったり、兎に葉っぱをあげたりしました。
滑り台を滑ろうと遊具のてっぺんまで登ったとき、気がつきました。
私の描いた馬の横に、もう一匹馬がいたのです。
息子の乗ったと馬と知らない誰かが乗った馬が向き合っていました。
びっくりして、「ねえ、もう一匹いるよ!」と息子に言いました。
「ほんとだー。どこからきたんだろー?」と呑気な息子です。
私は、感動していました。
絵を描いていて初めてかもしれません。
私たちが帰った後、遊びにきた子が真似して描いたのだと思います。
日が暮れて真夜中、誰もいなくなったそこにいるのは二組の馬と人です。
その真夜中の時間を想うとなんてすてきなんだ!と思います。
そして、次の日また私たちが来て発見する。
お互い誰が描いたか永遠に分からず知り合う可能性もたぶん無い。
出会ったのは絵だけです。
私が消えた瞬間です。
でも、風や夜の空気のように、起こったことを知っている。
もしかしたら、絵はすぐに消されていたかもしれませんし、
次の日私たちは違う公園に行っていたかもしれません。
私は起こったことと、それに気づけた偶然に感謝しました。
そしてそれが、アトリエで一人で制作している時でもなく、展覧会場でもない、私と息子のいろいろある日々の中で起こったことにとても救われました。絵の生きる場所は美術館やギャラリー、キャンバスや紙の上だけではない。
鼻歌や風の音のように存在する「描く」。
私は、「描く」そのものに、
ソウイウモノニワタシハナリタイ
と強く思いました。

k

Comment:
Add a comment:









Trackback:
http://blog.art-eat.com/trackback/65
 
CALENDAR
NEW ENTRY
ARCHIVES
CATEGORY
COMMENT
PROFILE
MOBILE
LINK
SEARCH
OTHER

(C) 2019 ブログ JUGEM Some Rights Reserved.