2011.05.12 Thursday 16:00

ものと人

 新しい展示が始まる前は、家にいてもなんとなく作家さんやその作品のことを考えてしまいます。
この前、休みの日の昼間にお風呂に入っていました。
狭いけれど天井が高く、窓が大きいくて昼間はとても明るいです。
水色の浴槽と丸石のタイルと真っ白な壁の感じがかなり気に入っています。(ボロいですが)
お湯に浸かってぼんやり水面を見ていたら、石川さんのコップを思い出しました。
ゆらゆらとお湯が揺れているのと、コップの編み目模様が同じだなー、なんて思っていたら
なんだか胸がいっぱいになってしまいました。
水面の下には、私のお腹があって、それもいっしょに見えていたからです。
お腹には子供を産んでできてしまった編み目模様があるのです。
妊娠線というものですが、私には言葉ではなく、模様として体に刻まれたものです。

最近、絵を描きながら、自分の引く線のカタチは世界のどこかの線と一致するのではと考えるようになりました。
なぜ、そう考えるかというと、
自分がどうしてこういう線を引くのかわからないからです。
しかし、どこかでこの線を知っているから描くのだとも思います。
自分が生み出した線はどこにも無く、どこかにあるであろう線を映して絵を描いている。
そう思うようになり、絵を描くのがずいぶん楽になりました。
真剣に引いた線、感情にまかせて引いた線、どうでもいいような線、全部が許されているからです。そして世界に存在しているからです。
何かを表現したいという強い気持ちは、私には無くなってしまったのかもしれません。
絵の中での否定がなくなりました。

話がずれてる気がしますが、、実はずれていません。
お風呂で胸いっぱいになったのは、このことと関係してると思ったのです。
石川さんが作って、ものとして独立して、うちにやってきた硝子コップです。
私は、ずっとお腹にできたたくさんの溝を気にしていました。
なんだか、いろんなことが元に戻らないような気がしていました。
石川さんのコップを使ったって、何がどうなるわけでもありません。
でも、お腹に入った模様と、コップの模様が似ているだけで、
なんとなく、自分が否定されていないと感じました。
それで、胸いっぱいです。
良い器は、道具として役に立つだけではないのね、、なんて思いました。



k

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