2010.12.13 Monday 10:41

朝のひかり



おはようございます。
先日のキッチンの写真をアップします。
毎日、朝の仕込みをします。
毎日同じことをします。
それぞれ役割が決まっています。
私はランチにつけるタブリと、まかないのサラダ担当です。
パセリを刻みながら、とても晴れていて、朝のひかりがとてもいいなあと思いました。
外が寒いのと、お湯をわかす湯気と湿気。
私の若めの頬がそれを敏感にサッチしています。
なぜ、そういうことをいいなあと感じるのだろう。(最初の疑問)
考えてみます。


、、、、、、、、。
考えてみると、
やはり。
私は、自分を根とした物語の中に生きているのです。
いいなあ、と思う時、実は同時に胸が締め付けられるように苦しいのだとも思います。
生まれてから、ずっといろんな風景を見てきてました。
それは、単に自分の力の及ばない見せられた風景の蓄積でもありますが、
自分の中に獲得してきたもの、とも思っています。
ひとつの風景を固まりとして記憶するのではなく、色や、音や、動き、あつさ、たくさんが集まった、たまたまのソレとして保存されているのです。
なので、その風景の要素の一つを含む違う風景に出くわした時、瞬時に無意識の検索機能が
働き、かつて獲得した景色に結びつくのです。
生きているとその要素は増えつづけ、複雑になっていきますが、
それは、何かが景色から景色へ行き来きできるようになることでもあるのです。
それは時も場所も関係なくなることなのです。
そうなってくると、自分である必要もないのかもと思います。
ただ、そこに行くのにKという人間の人生が必要なだけであって。
自由に行き来することこそが、なにより大事だと私が考えていることがわかります。
そして、それが最初の疑問の答えになります。
28年の間に私が獲得してきた要素のひとつと、その朝の仕込み風景の要素のひとつが一致したのです。
行き来する自由が確立された瞬間です。
行き来することは、自分が自由であるということではありません。
しかし、その瞬間の中身は時と場所がなくなる永遠です。
なので自由が永遠だとわかるのです。
そのことが私はとてもうれしいし、
同時に自分というものが自由になれない存在だとわかり絶望します。
なのでとても苦しいのです。
自由というものが自由にいろんなところを行き来するために、私は自分の経てきた人生を道具としてうまく生かさなくてはならないのです。
ソレを選ぶか選ばないかだけが、自分が決められる唯一のことだと思っています。
そして、私は迷わずソレを選ぶことを選びます。
自由ではないけど、豊かでありたい。
私は、そういうことを獲得して生きたい。
そのために必要だから、私は昼はアートイートで働いて、夜は絵を描くのです。






K

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